dolly baby chick【R-18】

人気者というのは忙しい。マレーシアで成り行きでコメディアンとなったジャガーは、首元のマフラーを緩めながらマンションの自動ドアをくぐった。
付き合いの夕食会。名前も覚えていない料理を平らげて、喋って、ちょっとした重役を笑わせて次の舞台を勝ち取る。たまにゆらゆらと近づいてくる露出の多い格好をした女性をいなしながら、引っ張られる腕を振り払いながら、早足で帰ってきた。普段より強めに。今日は特に家に帰らないといけない理由があった。
「……届いてるっ……!」
玄関ドアの横、異様に縦に長い段ボールを抱きしめるように抱える。片手で鍵を開け、その段ボールを引き摺り込んだ。
ジャガーの身長ほどの高さの段ボールを部屋の壁にくっつけて置く。ハサミを手に持つと、透明なガムテープの封に慎重に切れ込みを入れていった。扉を開くようにして、中身を確認する。緩衝材に包まれたそれを抱きかかえてベッドに乗せる。ぐるぐると解いていくと、見慣れた人物によく似た顔がそこにあった。

数日前、ジャガーはいつもの通り接待の場に行った。隣に座った男がやけに口角の片方を吊り上げて話しかけてきた。浮いた話を聞かないが、相手はいるのか、女を買ったりしないのか。なんでそんなことを聞いてくるのか嫌になったが、「生身の女性は怖い」とおどけて返した。すると、隣の男はさらに口角をいやに吊り上げて、「いいところに連れていってやる」と言った。
その後無理やり車に乗せられた。まあ最悪殴れば何とかなりそうな男だったので、なんとなく着いていく。降りろ、と言われたのでその通りに車から降りると、見たことのない街並みが広がっている。日本の風俗街と似ていた。男を睨みつけると、顎をしゃくって行き先を示した。目立たない雑居ビルの3階に目当てらしい店はあり、重い扉を男が押して開けた。
「なんですか、ここ」
「人形屋だよ。こういうのはお好みじゃないかい」
壁に沿って、所狭しと女性の人形が並んでいる。しかしただのおもちゃ屋ではなさそうだった。全て等身大というか、普通の人間と同じくらいの大きさがある。
「なんか気色悪いな、誰が買うんだ」
「私は家に2つあるよ」
ジャガーが眉を顰めて男を見ると、意図を察したのか言葉を続けた。
「なに、普通の人形と変わりはない。多少値は張るがね。愛でたり着替えさせたりするんだ」
何で大の男が人形遊びをするのか。ジャガーには訳がわからなかった。髪の長さ、体型、胸の大きさ、やけにバリエーションがある。どうにも気味の悪さが抜けなくて、部屋の中を進む足は歩幅が小さくなる。部屋の片隅に置かれたひとつの商品を見るまでは。
「……ピヨ彦?」
「珍しいな、今日は男のタイプもあるのか」
部屋の奥、隅にその人形はあった。短く切られた黒い髪、半分伏せられた目、緩く開いた口、多少髪や肌の質感に違和感があるが、日本でずっと隣にいてくれた男によく似ていた。瞬きをしないのが不思議なくらいだった。
「気になるのかい」
「ああ、…………いや」
「マレーシアじゃ違法といえば違法だが、人形相手じゃ誰も取り締まれないだろう」
「…………はぁ?」
男が何の話をしているのかいまいちわからない。男がピヨ彦に似た人形の首の後ろに手を伸ばす。ジャガーはなぜかこめかみがびくりと震えるのを感じた。目を離せないでいると、男は人形のうなじの部分からシールを取り外した。指先にくっついたシールには数字が書かれていて、それはもう法外な値段であった。
「全部一点ものだ。気になるんなら手に入れた方がいい」

そうしてジャガーはベッドに横たわる人形を手に入れた。正直値段などはどうでもよく、どこかの誰かの手に渡ってしまうのが嫌だった。まあ日本に送ってピヨひこ堂の前に飾っておけばいい。マネキン2号だ。変な格好をさせて写真を撮って、ピヨ彦に送ればちょっとした嫌がらせにもなる。
というのは言い訳にしかならなかった。心の底では寂しかったのだ。誰もいない部屋に帰る、その度に「ああ、ピヨ彦を連れてくればよかったな」という気持ちが心をよぎっていた。たとえ人形だとしても、椅子に座らせて置くだけで気分が紛れるかもしれない。ジャガーはそう思っていた。
ベッドに腰掛けて、人形の顔を眺める。やはり似ている。本物より少しだけ整っている。ふふ、と鼻から息が漏れる。ピヨ彦によく似た人形を買ったんだ、なんて、本人に言ったらどうなるだろう、気持ち悪いとか言って怒るだろうか。
服を着替えさせなければいけない。こんな手術着みたいなガウンは似合っていない。適当に寝巻きにしているハーフパンツやTシャツでも着させたい。ジャガーは適当に服の用意をして、ガウンの紐を解いた。
人形の胸が露わになる。胸板が分厚い。本物のピヨ彦とは全く違う。なんだかやけにリアルな作りに疑問が生まれる。
そのままガウンを開いていくと、疑問はさらに強くなった。
やけにリアルな股間。リアルというか、生っぽい。顔のすべすべした造形と全く違う。すね毛も胸毛もヒゲも無いのに、下生えだけきちんと生えている。趣味が悪い。
顔を上に逸らして考える。何かがおかしい。何かが、何かが。

風俗街の重い扉、大小様々な女性の人形たち。男の人形は珍しい。
「愛でたり着替えさせたりするんだ」
半分伏せられた目、緩く開いた口。マレーシアでは違法だが、人形じゃ取り締まれない。マネキンより馬鹿みたいに高い。

ジャガーは人形をぐるりとひっくり返した。尻のあわいに手を進め、恐る恐る両手で開いてみる。そこにはほんの少し縦に割れた、何かが入りそうな穴があった。
「……あぁ〜…………」
ジャガーは立ち上がって部屋をうろうろした。見てはいけない、そう思うのにちらちらとベッドの上のうつ伏せの人形を見てしまう。返品、いや、店で買ったのだからクーリングオフはできない。いや、返すつもりはない。また店に並んで誰かに買われるなんて考えたくはない。どこかの誰かがピヨ彦によく似た見た目を性的に見ている。最悪の気分になったところで、ふと足が止まった。
自分はどうなのだろうか?
ガウンがめくれたまま、人形の尻はずっと丸見えになっている。目が離せなくなる。何かが腹の奥でずくずくと拍動して、指が同じリズムで微かに震える。目線を上半身に移すと、枕に埋もれた人形の頬のラインが、やはりピヨ彦に似ていた。伏せられた目が、まつ毛が、抱いて欲しいと強請っているように見えて、ジャガーは勢いよく目を逸らした。
目を逸らした先には、宿主を無くした段ボールがあった。足元があった場所に、紙袋が入れられている。ほとんど崩れ落ちるようにしてしゃがみ、膝をついてジャガーはその紙袋を手に取った。
袋の口を開ける。中にはボトルが2本。すぐにローションと洗浄剤であることがわかった。ローションのボトルを握る手になぜか力が入る。身体を引き摺るようにして、ベッドに腰掛けた。

尻から続く、太腿の稜線を手で辿る。柔らかいシリコンの皮膚が手に吸い付く。内腿に指を這わせて、さり、さり、と何回もさする。いつの間にか張り詰めていた股間が痛い。もう一度、人形の下に手を突っ込んで仰向けに転がす。
覆い被さって顔をじっと見る。髪に指を差し込んで掻き乱す。ああ、できるな、とジャガーは思った。
伏せられた瞼の奥、焦茶色の目を覗き込む。目線を下にやると、薄い唇が視界に入る。自分の口から湿気を纏った息が漏れていることに気が付いた。これは試しにやるだけだ、と自分に言い聞かせて、ジャガーは恐る恐る唇を合わせた。ぬくもりのないシリコンの感触が伝わってくる。ぺろ、と唇を舐めると柔らかく、舌を差し込むとすぐに人形の咥内はいっぱいになった。人形の口の中は舌のようなふくらみがあり、それ以外は何もない。きっと清掃がしやすいようになっている。舌を抜き差しすると、ぬるぬるした唾液が音を立てる。こんなこと、本物のピヨ彦にしたらどうなるだろう。眉を顰めて、目をぎゅっと閉じながらでも受け入れてくれるだろうか。
口を離して、人形を抱き締める。柔らかい皮膚の向こう側に関節や骨組みが当たる。昂ぶりを押し付けると、他よりも少し硬い素材でできているらしい人形の陰茎と擦れた。腰を擦り付けながら、荒くなっている息を整えるように大きく息を吸って吐く。工業製品っぽい匂いしかしないのが物足りない。だからといってもう止められはしない。
ズボンの前を緩めて、陰茎を取り出す。人形のそれと合わせて扱く。それでもなんだか満足できずに、ローションのボトルを握り込んだ。
人形の足を折りたたんで横に開く。陰嚢を模したものの後ろ、縦に小さく割れた穴にローションの注ぎ口を差し込んだ。適量がわからないが、一押しして抜いた。思ったよりも柔らかく作られているそこは、指をすんなりと咥え込んだ。指を抜き差しする度に、折り曲げる度に、ぐちゅぐちゅと音を立ててジャガーの鼓膜を揺らす。ジャガーは指を引き抜いて、ローションを新たに手のひらに出して、自分の陰茎に塗り広げた。
「……ピヨ彦…………っ」
割り開いたそこに、切っ先を突き立てる。組み敷いた人形を薄目で見ると、もう自分がピヨ彦のことをどう思っているかがはっきりとわかった。人形の分厚い胸板は、脳の中では筋肉のない薄いものに変わり、陰茎は昔ふざけて覗き見たものに変わっている。人形ではなく、もうピヨ彦を抱いていた。
「はぁ、っ、…………あっ……」
ぐぷぐぷと後孔がジャガーの陰茎を呑み込んでいく。柔らかい、狭い、気持ちいい。腰をゆるゆる動かすと吸い付いてくるようだった。胴体を掻き抱く。もう一度唇を合わせる。
「すきだ……好き…………ピヨ彦……」
もちろん返事などあるわけがない。ただ、「僕も」という声が聞きたかった。揺らすたびにあの高い声で鳴いてくれるのを想像した。背中にぎゅっと添えられる手を、唇を舐め返してくる舌を求めていた。ほんの少し虚しい気持ちは背徳感と綯い交ぜになって、ピストンを繰り返させた。
だんだんとぶつかる音が激しくなり、部屋中に響き渡る。もう限界だった。
「あっ、あ、っ、あ、ピヨ彦、ぴよひこ、好きだ、好き、気持ちいい、好き……ッ」
込み上げてくる射精感に抗うことができない。
「うぁ、ぁッ、あっ、イくっ、ピヨ彦、ぴよひこッ……」
ぐっと腰を押し付けて、どくどくと奥に流し込む。目の前がちかちかするような快感を、目をぎゅっと閉じてやり過ごした。

身体を脱力させ、人形に覆いかぶさる。人形は表情を変えずにそこにある。ああそうだ、服を着替えさせようと思っていたのだ。重い体を起こし、刺さったままの陰茎を抜いた。人形の後孔からだらりと精液が流れてくる。ティッシュを何枚か取って拭いてやる。ベッドの縁に腰を掛けて、人形のわきの下に手を差し込み、頭を太腿の上に乗せてやる。なんとなく撫でてみる。着替えより先に風呂に入れてやる方がいいのだろう。さっき見つけた洗浄剤の説明を読んでみないと、

突然、着信音が部屋に響いて肩がびくついた。スマートフォンの画面を見ると、先ほどまで頭の中で抱いていた男の名前が表示されている。いつもなら真っ先に通話ボタンを押すのに、さっきまで声が聴きたいと思っていたのに、指が動かなかった。誰も見ていないのに、人形を枕に寝かせて布団で隠した。まだ着信音は鳴り続けている。
「…………もしもし」
「もしもし、ジャガーさん、いま平気?」
「なに、どうかした」
「んん、まあたまには声聴こうかなって」
いつもなら嬉しいはずの連絡が妙に気まずく感じる。優しい声が腹の奥に残った罪悪感を突き刺してくる。
「……そう」
「あ、いや、用事あるよ、なんか今日、スーパー行ったらお菓子の投げ売りみたいなのしてて、そっち送ってあげようかなって」
「ああ、そう、うん、助かる、ありがとう」
「他にさぁ、こっちのもので何かいる? ついでにまとめて送ってあげる」
「…………」
「考えといて、今週末くらいまでに教えてよ」
「……服」
「服?」
「ピヨ彦の着てる、服」
「なんで」
電話の向こうで動揺しているピヨ彦の声が鳴る。
「……飾るから」
「なんで?」
「…………寂しいから?」
「はぁ、まあ、別にいいけど」
太腿の上に置いた手をギュッと握る。あともう一押しだ、とジャガーは思った。
「ありがとう、あの」
「そんなん言うならさあ、たまには帰っておいでよ、」
「あのさ、」
「なに、どうしたの」
「い、一日くらい、着たやつがいいんだけど、服」
「…………気持ち悪いな」
そう言ってピヨ彦は電話を切ったが、その2週間後にはジャガーの元に服が届いた。