まるで生きているかのような、湿気を纏った夜の風が2人のあいだを通り抜ける。コーティングのチョコレートがパリパリの棒アイスを買ってもらったピヨ彦は、同じくアイスを袋から取り出しつつあるジャガーの様子を伺っていた。青いソーダのアイスだった。アイスを買ってやるから出かけようというジャガーの言葉にのこのことついてきたが、普通に考えてジャガーがなんの思惑もなく施すということはないので、今になって少し心配になってきたピヨ彦だった。ジャガーはアイスの袋を店先のゴミ箱に入れ、寮から逆の方向に歩き出した。
「ジャガーさん、どこ行くの」
「うん?まあ……なんか、その辺」
まったく明確でない答えに不安をつのらせながら、後ろをついていく。もやもやとした気分に反して、チョコレートの層がパリと音を立てた。
適当な足取りは、普段散歩をするいつもの公園まで2人を運んだようだった。
「夜に来ると、結構雰囲気違うね」
「ピヨ彦、オレさぁ……」
ジャガーが振り向いて真剣な顔をした。丸いポールライトが赤い髪と青いアイスを照らす。
「逆上がり、できるよ」
理解の追い付かない中、ピヨ彦は、そう、とだけ言った。
「できる」
「え、うん……」
「ピヨ彦はできる?逆上がり」
「どうだろう、小学生の時にはできたけど……」
「持っといて」
ピヨ彦は目の前に差し出されたアイスを受け取り、ジャガーは近くの鉄棒へと駆け出した。鉄棒を握りしめ、ふうと息を吐く。鼻から息をスッと吸い込み、ジャガーが足を振り上げた。そこからがうまくいかなかった。回り切れなかったジャガーは、横から見たら数字の6のようであった。
「できてる?!」
「え、できてないよ……でももう少しだよ、頑張って」
「うおお……」
それからしばらく、ジャガーは数字の6のままだった。
「別にいいじゃない、できなくても。
ていうかその体勢の方がすごいよ」
ピヨ彦が慰めると、鉄棒を降りたジャガーがうつむいたまま、低い声で言った。
「グルグル回り続けるやつならできる」
「いいよやらなくて!」
静止を振り切りグルグルと回り始めたジャガーに少しあきれながら、ピヨ彦はアイスをかじる。ソーダの味がした。
「あっオレの食ったろ今」
「ごめん間違えた」
「返せ」
回転を終えたジャガーがずんずんとピヨ彦に近づくと、両手がふさがっているのをいいことにチュッと軽いキスをした。
「冷たいな」
人の気配がないといえど、外でキスをされたのは初めてだったピヨ彦の顔はみるみる熱を持った。ジャガーも少なからず照れたようで、顔を右手で覆ったが、すぐにその手をピヨ彦の眼前に突き出した。
「手がスゲー臭くなった。鉄臭い」
「だろうね」
「よし、ジャングルジムでも登ろうか」
何がよし、なんだとピヨ彦は思った。アイスを取り返したジャガーがすいすいとジャングルジムを登っていき、ピヨ彦も後に続く。大人になってから登るジャングルジムは思ったよりも小さく、それでいて登りきると高く感じた。ジャガーは平気な顔でアイスをちまちまと食べている。ジャガーの隣に腰掛け、アイスの続きを食べる。
「桜ももう結構散っちゃったね」
「おう」
「ジャガーさん、アイス溶けてるよ」
「いいんだよ」
ピヨ彦が最後のひとくちを終えても、ジャガーのアイスは半分ほど残っていた。食べるというより溶けた部分を啜っているという方が正しかった。ジャガーがアイスを啜るあいだ、特に話題はなかったが隣に座っているだけでなんだか心地いい気分をピヨ彦は感じていた。特に満月でも三日月でもない月を見上げたり、LEDに照らされて白くなった砂場を眺めていると、いつもの公園にいるはずなのに、なんだか地球ではないところに来たようだった。例え未知の世界、例えば宇宙でも、ジャガーと一緒ならなんとなく大丈夫だろう、とふと思って横を見るとジャガーと目が合った。
「どうしたの」
「や、別に」
「食べ終わった?降りる?」
「うーん……まあ、降りる、かな」
緩慢な動作で降りるジャガーを、今度は先に降りたピヨ彦が待った。帰り道に向かって、じゃりじゃりと砂と靴が擦れる音を響かせた。
公園の入り口にあるくず入れに、ピヨ彦はアイスの棒を捨てた。ジャガーはくず入れから2mほど離れて、地面にアイスの棒で笛の絵を描いている。
「ジャガーさん、」
「わかってるよ、もう帰るよ」
立ち上がって膝を伸ばすジャガーにピヨ彦が言った。
「手つないで帰ろっか」
「マジ?」
ジャガーが投げたアイスの棒が、くず入れにきれいな放物線を描いて入った。
「え、なに、ピヨ彦、オレと手、つなぎたいの?
いや、まいったな、いや別にまいっちゃいないんだけどさ、
しょうがないな、ほら」
ピヨ彦の半歩先に足を進めたジャガーが、振り返って手を差し出す。
手を重ねながらピヨ彦は、多分この人はデートがしたかったんだろうな、と思った。