なんとなく後ろめたい気分がする午後、電気をつけていない部屋でピヨ彦は一人ノートパソコンのキーボードを叩いていた。外は薄曇りで、ほんのり冷たい色を持った日の光とモニターの光がピヨ彦を照らしていた。
最初は普段通り近くのスーパーと少し遠くの大きいスーパーのWEBチラシを見比べて「マグロが水曜に安いなら買おうかなあ」などと考えていたピヨ彦だったが、マグロ丼を美味しそうに食べるジャガーのことや風呂上がりに大量に牛乳を飲み干すジャガーのこと、そして最近お互いの気持ちを不本意ながら知ることになり柔らかいキスを交わすようになったジャガーのことばかりが頭の容量をだんだんと占めていた。
考え込むように頬杖をつくと、唇に少し触れた手がキスを思い起こさせる。次のキスへの期待とある種の不安で頭がいっぱいになる。回数を数えることはとうに諦めていたが、最近その時間が長く、ジャガーからの圧のようなものがだんだんと強くなっているのを感じていたからだった。多分そろそろ次のステップが待ち受けているのだろう。
そしてきっと、自分が受け入れる方の立場だという自覚があった。
不安しかないピヨ彦がとった行動は自然なことだった。
男同士、セックス、準備、適当な単語を少し冷えた心地がする指先で打ち込んだ。
出てきたサイトたちから無害そうなものを嗅ぎ分け、開き、読み進める。やはりそれなりに準備は必要そうだった。しかし、身体の構造的には頑張れば入るらしい。ほんとかよ、とピヨ彦は思った。
愛のために少し献身的になっていたピヨ彦は「とりあえず自分でなんとかできることはしよう」と思い、少し離れた隣町のドラッグストアの場所を思い浮かべた。知り合いに出会いそうにないところ。中身の見えない袋を持っていくとして、ローション、ゴム……
「興味あるんだ?」
血の気が引いた。
すぐ左後ろで中腰になってパソコンを覗き込んでいるジャガーの顔がそこにあった。
ピヨ彦は驚いて逃げ出すように真横に倒れこみ、ついでに左肘を机に強打した。匍匐前進のようにずりずりと離れようとしたがとにかく肘がしびれて痛いのと画面を覗き続けているジャガーにいたたまれなくなり、すぐに体勢を戻してパソコンをバタンと力任せに閉じた。
「なんだよ、いいじゃん別に」
痛みに悶えるピヨ彦を見て、ジャガーは笑ったら申し訳ないなあと思った。しかしやはり肘を抱きかかえながら泣きそうな目で見上げるピヨ彦を見るとどうにも可愛らしく、口角が上がるのを抑えられなかった。ピヨ彦はとにかく何か言い返そうとしたが、恥ずかしさと何より肘の痛みで声が出ない。ジャガーがうずくまるピヨ彦の背中を撫でさする。
「いやーやっぱりピヨちゃんも男の子ですなあ」
「……はぁ、っ……、ジャガーさんは、どうなの」
「何がどうなのって?」
「……僕と、……エッチなことするのとか、考えないの」
「考えてるよ、1日に20回ぐらい」
「お、多いなあ……!」
「あんまり焦って行動してもアレだからさ、
ま、ゆっくりでもいいかなと思ってたんだけど」
ジャガーがピヨ彦の肩を持ち、起き上がらせる。ピヨ彦の腕を伸ばしたり畳んだりを繰り返し、肘の無事を確認した。流れるように肩を抱き寄せ、唇を寄せた。
「オレたちの関係、進めちゃいますか!」
「待って、待ってよ」
唇が重なる寸前で、ピヨ彦がジャガーの胸板を手で押しのけた。
「まだ、僕、心の準備も身体の準備もできてないから」
「身体の準備?」
「なんかこう、いろいろ、やることいっぱいあるんだよ準備が……」
「あ、ピヨ彦はチンコ挿れられる方でいいんだ?」
「え?」
選べるのか、でも自分がジャガーさんを組み敷くなんて想像できない、えっどうなんだろう、とピヨ彦が逡巡していると、ジャガーは言った。
「オレは絶対ピヨ彦に挿れたい」
じゃあなんで聞いたんだ、とピヨ彦は思った。
ジャガーはピヨ彦の唇を軽く奪った後、立ち上がって押し入れから布団を引きずり出した。
普段よりだいぶ雑に敷かれた布団に座り込んでジャガーは言った。
「どうぞこちらへ」
「だから、僕そんな……」
「触るだけ触るだけ。そんな突然突っ込んだりとかしないよ。」
不安が勝るだけでその先のことに興味はある。にじり寄ったピヨ彦の手が布団に達した瞬間、ジャガーが腕を掴んで引きずり倒した。
「わあ、あ」
「いいこだな」
ピヨ彦の視界がジャガーの顔でいっぱいになった。先ほどと同じような軽いキスから、ジャガーに唇をべろりと舐められた後、だんだんと深いものに変わっていく。舌を吸われたピヨ彦の背中にぞくぞくと電流が走る。握った手が汗ばんで熱を持った。ジャガーはピヨ彦の服の裾から手を入れ、脇腹をするりと撫でた。怯えるように腹筋がビクリと跳ねた。
「今日は触るだけ、今日は痛くしない、
ピヨ彦の心の準備ができるまで待つよ」
どこか自分にも言い聞かせるように、ジャガーがささやいた。湿った唇で首筋をなぞっていく。
肌の薄い脇腹や首を触れられる中、ピヨ彦の不安は消えて驚きに変わっていた。ジャガーの舌や吐息が自分よりも熱を持っていたからだ。いつも飄々としているジャガーがこんなにも自分を求めていることに、驚きと幸福感が混じった心地だった。
「う…っ……あ、ジャガーさ……」
「乳首どう?気持ちいい?」
「わかんない……、ちょっと、くすぐったい、かも」
「でも腰がちょっと浮いてる。
まあここはいずれ、だな」
そういうとジャガーはピヨ彦の股間に手を伸ばした。ゆるく芯を持ったそれを上下に撫でる。
「ぁっ……はぁ、ジャガーさ、ん
……ジャガーさん、のも……」
ピヨ彦が目を合わせてジャガーの返事を伺った。
「いいよ、触って」
ピヨ彦が恐る恐るジャガー自身に手を伸ばすと、熱い塊がそこにあった。
「うわ、すご……」
「いやー、だってピヨ彦がかわいいから……
なんか恥ずかしいな、服脱ぎたい、ピヨ彦も、いい?」
「う、うん……」
ジャガーがマフラーを解き、するすると服を脱いでいく。ピヨ彦も理性が残る頭でシャツを脱ぎ始めたが、途中で早くも裸になったジャガーに上も下も剥ぎ取られた。
お互いの裸なんて何度も見たことあるはずだったのに、布団の上で見つめあうと途端に目を逸らしたくなるような、それでいて目が離せないような不思議な感覚がした。
ジャガーがあおむけになったピヨ彦の両足に割って入り、頬にキスをしながら抱きしめた。お互い自身を擦り付けあい、じわじわとした気持ちよさが2人を包んだ。
「ピヨ彦、触って……」
上体を起き上がらせたジャガーがピヨ彦の両手を握って誘導する。重ね合わせた2人のそれをまとめて握らせた。
「あ……」
「擦って、いつも自分でやってる感じでいいから」
直接触ると、自分のものも、ジャガーのものも、熱く硬く興奮していることがわかった。言われた通りに上下に擦る。先端同士が触れ合うとき、びりびりとした快感が2人を襲った。
ジャガーはもどかしそうに自分の手に唾液を垂らし、ぬるぬるになった手のひらを先端に滑らせた。
「あっ!あ、ダメ、ぇ」
「かわいいよ、ピヨ彦……ほら、手動かして」
快感から逃げるように目をつぶり、自身を擦る。だんだんと理性が頭から零れ落ちていく。目を開くと、ジャガーと目が合った。
「や、ヤダぁ、ぁ、ジャガーさ、ん見、ないでっ」
恥ずかしそうにしながら両手を動かし続けるピヨ彦を見て、ジャガーはにやりと笑った。目を離さないまま、先端に滑らせていた手を円を描くようにぐちゃぐちゃと動かす。唾液に加えて先走りが混じりあう。ピヨ彦の腰がビクビクと跳ね、太ももはジャガーの胴体をきつく挟んだ。
「ひっ、ぅあ、あっ!や、もう、イクっ、イっちゃ、」
「いいよ、イくとこ見せて」
「あっ、あっ、イく、ぅ、あぁ、アッ!」
ピヨ彦がジャガーの手に精を吐き出す。肩で息をするピヨ彦の口をジャガーが塞いだ。はふはふと息が漏れるピヨ彦の舌を吸い上げ、偉いぞ、とジャガーは言った。まだ熱を持ち、張り詰めたジャガーの陰茎をピヨ彦が再び擦ろうとすると、ジャガーが起き上がる。
「なに、もっと触りたい?」
「や、だって僕だけってわけには」
「ピヨ彦の手、気持ちいいよ。イくの我慢してんだ」
「なんで……、え、うわ、ぁ」
ジャガーがピヨ彦の足をぐっと広げ、股間に再び手を伸ばす。唾液と先走りと精液が混ざり合ったものをぬるりと会陰のあたりに塗り広げた。
「う、ぁ、やだっ……今日は挿れたりしないって、」
「言ったよ。挿れないよ。
でもちょっと、ごめん、これだけやらせて……」
ジャガーがピヨ彦の両足を肩に抱え、自身の先端をぬめった秘所に擦り付ける。あっ、あ、と声を漏らすピヨ彦の太ももの間に自身を押し込んだ。
「あー、すげえ……」
じたばたしているピヨ彦の脚をきつく抱きしめ、抽送を繰り返す。
ピヨ彦は自分の太ももに抜き差しされる熱い塊から、なぜか目が離せなくなっていた。手の甲で塞いだ口からふうふうと熱い息が漏れて、自分がこの状況に興奮してしまっていることに気が付いた。
ジャガーがより一層深く、ぐりぐりと腰を押し付けながら言った。
「ピヨ彦、」
「な、なに、ジャガーさん」
ピヨ彦のへその下あたりを指でぐっと押した。
「ここまで入るから、覚悟しとけよ」
ぞくぞくぞく、とピヨ彦の腹部を恐怖と期待が走った。足にぎゅっと力が入り、ジャガーを締め付ける。
「うぉ、ぉ、気持ちい、イキそっ」
抽送が早くなり、ピヨ彦、ピヨ彦、と名前を呼びながら、ジャガーは果てた。大きく息をしながら自身を引き抜いたジャガーは、ピヨ彦の隣にぼふりと音を立て寝転んだ。
「なんか夢みたい」
「何、急に乙女チックなこと言って……」
「こんなに人間のこと好きになったの初めてなんだ。
そのうえピヨ彦もオレのこと好きでいてくれて、
えっちなこともしちゃったりして。
あ、もちろん笛を吹くピヨ彦はもっと好きだけど」
「吹かないよ」
ジャガーは背後にできている脱いだ服の山から、適当に引っ張り出してピヨ彦の腹を拭いた。
「ジャガーさんのパンツじゃん」
「いいじゃん、一緒に洗濯いこうぜ」
「その前に、お風呂……」
「だな」
ジャガーが立ち上がる。風呂を入れに行くのかと思いきや足は冷蔵庫に向かった。牛乳をパックのまま、口をつけてぐびぐびと飲んだ。
「ピヨ彦も飲むか?おいで」
「うん」
思いが通じ合う前ならば手が震えていた間接キスも、今となっては大したことがないと思った。先ほどまで布団の上で行われていたことを思って少し頬が赤くなる。心の準備ができていなくとも、ジャガーが無理やりにでも次のステップへ引っ張り上げてくれる。それがなんだか心地良かった。身体の準備の方だって、ゆっくりでいいと言ってくれた。自分のペースでジャガーについていこう、とピヨ彦は思った。
「ピヨ彦、あのさ」
牛乳を冷蔵庫にしまったピヨ彦に呼びかける。
「どうしたのジャガーさん」
「オレ今日マグロが食べたいな」
「マグロは水曜日ね」
「今日は我慢か」
「我慢してね」
ピヨ彦が風呂場に向かって歩き出すと、追いかけてきたジャガーに呼び止められる。
「ピヨ彦」
「なに、もう」
「オレやっぱり我慢できないかもしれない」
「ええ、でも今日はマグロ高いんだよ」
「そっちじゃないんだ。マグロは我慢できるよ」
「じゃあ何、」
「さっきのさ、ピヨ彦の心の準備も、水曜までにできないかな」
目と目が合う。ジャガーは当然のようにピヨ彦に軽いキスをして、風呂場への道を追い抜いて行った。
「オレやっぱ挿れたくなっちゃった」
先を越された風呂場から、どぼどぼと湯を張る音とジャガーの鼻歌が聞こえてくる。
ピヨ彦は隣町のドラッグストアを思い浮かべながら、風呂場へと足を進めた。