眠れない夜 お前らのせいだよ
そふとくり~むは困っていた。
さわやかな朝が訪れるはずが、キム公の口からは長いため息が出る。コブラひさしのクマは深くなり、卵ちゃんはイライラしすぎて柄沢の脚をハーモニックパイプで縛っている。ケミカルよしおの倦怠感も皆と同じだった。とにかく眠れないのだ。
ガリ寮の壁は薄い。もともとミュージシャン養成所の寮なのもあって、楽器の音でうるさかったりするのは織り込み済みだった。むしろ1日1日音の響きが豊かになっていくのを聴くと、微笑みすら浮かんだ。皆、マイナー楽器とはいえ音楽に打ち込んだ者たちだった。
しかし、この数か月は隣の部屋から聞こえてくるものが違う。ギターの音、笛の音、笛ギターの音。昼間の楽器の音や生活音とは違う、明らかなそれが夜になると聞こえてくるのだった。
2人の関係にはもちろん気づいていた。キム公とピヨ彦と、3人で楽しくゲームの話をしていると矢のように視線が刺さってきたし、食材の買い出しを終えてガリ寮に帰る2人を見かけて声をかけようとして、2人の手が繋がれているのを見て止めたこともある。組織から離れるために、手頃な場所に住もうと思っただけだったのだが、今はもうとにかく引っ越したい。大所帯になってきたし、郊外の庭付きでも探して、ちゃんと皆で働いて、音楽をやって。しかし、夜の騒音問題を除けば、2人のことは見守っていたい気がした。視線は痛いが、たまにゲームしに来いよと呼んで……
ウソのように天気のいい外を眺めていると、おい、と後ろから声をかけられる。キム公が立っていた。
「ケミお、ちょっと今日ジャガーに話つけてこい」
「なんでオレが……」
「お前が一番の古株らろうが」
「こういうときだけリーダー面しないの何なんだよ」
とにかくオラは用事あるから、といって外に出ていった。部屋の隅で柄沢が聞いていないふりをしている。ひさしと卵ちゃんはすでに出かけているようだった。協調性が無い。
目を閉じると、こびりついた音が再生される。ヤダ、だとか、ダメ、だとか、本当に、オレたちの方がもう嫌だったし、もうダメだ。そもそもピヨ彦はなんとかこらえようとしているのがわかる。問題はあの男だ。ピヨ彦が苦しそうな声を出すと、ばちばちとぶつかる音が大きくなる。わざとやっている。そのうえ「隣に聞こえちゃうぞ」とか言う。本当にわざとやっている。玄関のドアを乱暴に開けて、2人の部屋へ向かった。ノックをするが出ない。強くドアを叩くが、出ない。ここまでやって、ふと「ピヨ彦が出てきたらどうしよう」と思った。それ以上ドアを叩くのが怖くなって、部屋へ戻る。柄沢がうとうとしている。くそ、と思って、よしおはベランダに出た。
爽やかな外の空気を吸うと、カレーの匂いが混じった。ガサリと音がする。隣のベランダを覗くと、ジャガーが洗濯物の下、ベランダのサッシに座ってカレーパンを食べていた。
「お前居留守使ってんじゃねえか」
「さっきのケミおだったのか、ごめん、宗教のおばちゃんかと思った」
バタバタとはためく洗濯物の向こうの部屋を覗く。
「ピヨ彦はいないよ。バイト。ゲームくらい1人でやれ」
「オレはお前に用があんだズェ」
指を差しても、全く動じる様子がない。頬に貯めたカレーパンを咀嚼し終えると、何、とジャガーは言った。
「お前ら、その、あれだ、あの、」
顔が熱くなる。指先がぶるぶると震えた。
「全部、全部さあ、あれ、夜さあ、聞こえてんだよ」
「んー」
「ほんと、マジで、みんな困ってんだズェ、なんとかしろ」
ジャガーが立ち上がる。洗濯物が顔にかかっている。ただ、にっこりと笑う口だけが見えた。
「かわいいだろう、あれ」
喉からヒッと音が出ると、よしおは部屋へ駆け込んだ。柄沢が心配している。四つん這いのまま、よしおは柄沢に一言、諦めよう、と言った。その夜、キム公が人数分の耳栓を買って帰ってきた。よしおは泣いて喜んだ。