「ピヨ彦、ごめん、別れてくれ」
ジャガーが帰ってくるなり玄関で頭を下げ出したので、流石のピヨ彦もみかんを剥く手を止めた。ジャガーが人に頭を下げるなんてめったにないことなので、ネコがダンスをしているような、動物のかわいい衝撃映像を見ている気分だった。
「え、何、どうしたの」
腰を直角に折り曲げたジャガーが顔だけ振り上げた。すうっと大きく息を吸う。
「給料袋、なくしました」
ジャガーが謎にガリプロから8万を貰い続けているのはこの間知った。それを知った時、ピヨ彦はセガールに同情の念を持った。最近はそれにプラスして講師としての給料も貰っているらしいという話だけ聞いている。なんやかんや生活費については少し多く出してくれるので、ピヨ彦はありがたいなと思っていた。でも8万、気になる額ではあるが、別に、とピヨ彦は思った。
「あぁ、そう……」
「ごめん、本当に、明日からどうやって償えばいいか、ここに住めなくなるのかなあ」
ピヨ彦が立ち上がり、押し入れの中、ダンボールの隙間に隠していたジッパーバッグを取り出す。通帳、判子、保険証、そういうものがひと通り入っていた。通帳の最後の行を見る。
「別に、大丈夫だよ1ヶ月くらい」
「えっ」
ジャガーがバタバタと靴を脱いで、ピヨ彦に駆け寄る。
「ピヨ彦、一文なしじゃねえの」
「僕だってちょっとは貯金あるよ!流石に失礼すぎるでしょ」
律儀に通帳を入れ直して、机に戻った。みかんの続きを剥く。
「お金はなんとかなるから、母さんに電話して食べ物送って貰えないか聞いてみるよ」
「ほんと?本当か?お前イイ男だなあ」
ジャガーがピヨ彦の肩にしがみついて揺さぶった。顔がいやに近く、ピヨ彦は顔を逸らした。
「うん、あとさぁ……」
「何……」
「僕たち付き合ってないから、別れるとかそういうのないよ」
「ウソォ?」
「付き合ってないよ」
ジャガーが困惑しながら、ピヨ彦が剥いたみかんを勝手に口に入れた。もう一つみかんを剥くことにした。
「こんなに仲睦まじく暮らしているのに?」
「うん」
「え、ピヨ彦もオレのこと好きなのに?」
ピヨ彦のみかんを剥く手がもう一度止まった。
「え、それは……、なんで知ってんの?」
顔の赤くなるピヨ彦を見て、ジャガーは「あーかわいいなー」と思った。
その後電話のベルが鳴った。相手はセガールで、給料を渡したついでに談笑した後、ジャガーが机にそのまま給料袋を忘れて帰ったらしい。2人の生活は変わらず続いていくことになった。ただ関係だけ変わった。