12月1日
だれにもおしえてあげないよ。 ジャガとピヨ
君のいない春に眠る ジャガピヨ
オレは歯ブラシだ。名前とかは特にない。歯医者で売られている、れっきとした歯ブラシである。薄い青色のオレを使っていたのは赤い髪の男で、オレは毎日念入りに歯を磨き上げていた。毎日毎日、毎朝毎晩、精一杯頑張っていた。それが崩れたのは窓から差す光が暖かみを帯びたころだった。男がいなくなったのだ。
オレの隣でコップに刺さっている、緑色の歯ブラシはドラッグストア生まれの冴えないやつだ。正直見下していた。見下していたのにこの数日ときたら、こいつの方が働いている。オレだって磨きたい。歯を。仕事がないので毎日ぼんやりとする時間が増えた。それでも黒い髪の男が隣の歯ブラシを使うためにオレを毎日コップから出す。その度に、起こされる煩わしさとともに焦燥感がつのっていく。
このまま掃除用にされてしまうのだろうか。使われない歯ブラシはそうなるのだと相場が決まっている。嫌だ。嫌だ。オレは歯医者生まれなのに。排水溝なんて磨きたくない。ある日新しい歯ブラシがやってきた。もう終わりだ。覚悟を決めたオレが歯ブラシなりに俯いていると、緑のやつが攫われていった。オレの隣には新品の緑のやつが入って、古い緑のやつはシンクの淵に置かれている。その晩、黒い髪の男は新しい歯ブラシで歯を磨きながら、もう片方の手で古い歯ブラシを使って排水溝を磨いていた。なぜオレじゃなかったのか、わからない。
その後も毎日オレは眠りにつきながら、毎日起こされて、黒い髪の男の歯を磨く様子を眺めている。隣の緑のやつは2回ほど入れ替わったが、一度たりともオレを捨てようとしなかった。
ある朝、オレの持ち主が帰ってきた。黒い髪の男が笑っていて、心底よかったと思った。ちゃんと使ってもらえるのもありがたいことだが、彼の涙が口に入る様を見るのはオレだけでよかった。
12月2日
不幸の始まり ジャガとピヨ
郵便受けの中に見慣れない封筒がひとつ。一応開けてみると不幸の手紙と書いてあった。
「まだあるんだねえ、こういうの」
「オレ不幸になるの嫌だなあ、そうだ、なんか嫌なことが起きたらチューしてくんないか、プラマイゼロになるから」
「なんでそうなるのかわかんない」
「あー今理解してもらえなくて不幸だ、おい早く、」
いやお前が言うな。 ジャガピヨ
とりあえずジャケットなんかを羽織ってみる。ジャガーさんはいつも通りの格好だが、おろしたての服だそうだ。よくわからないけど。菓子を持って実家に向かう。
「母さん、ただいま」
「あらおかえり、どうしたの?2人ともかしこまっちゃって、なんだか結婚の挨拶みたいね、ふふ、そういえばあなた達はいつケジメをつけるの?お母さんずっと気になってたのよ〜」
12月3日
忘れてなかったら、 ジャガとピヨ
酷い男 ジャガピヨ
ジャガーがパンパンになった買い物袋を提げて帰ってきた。「今日は晩飯を作る」と台所に向かっているので、ちゃぶ台に顎を乗せながらピヨ彦はその背中を眺めている。最近鍋ばかりなことにご不満なようなので、鍋ではないだろう。何を作るんだろう。なんにせよ前科があるので、ピヨ彦は近くのうどん屋に思いを馳せていた。期間限定豚汁うどん。そうこうしているうちに、醤油とみりんの甘辛い匂いが部屋に満ちていった。どうやらまともに料理を作っているらしい。うどんを頭から消すように目を閉じていると、あーっとジャガーの声がした。
「ゴマがない、買い忘れた」
「…………」
「ピヨ彦〜……」
「なに、買いに行けばいいの」
無くてもそんな変わんないよ、とは言ってみたが絶対に必要らしい。渋々外に出る。もう気づけば年の瀬だ。寒い。大きめのコンビニで黒ゴマと漫画雑誌を買った。
帰るとジャガーが煮物の鍋の前で仁王立ちして煮物に話しかけている。ゴマを渡して漫画雑誌を読む。ごとりとちゃぶ台に煮物が置かれて、召し上がれとジャガーが言った。笛やプラモデルを除いて食べると美味しかった。半分くらい食べ進めて気づく。
「ゴマ、入ってなくない?これ」
ジャガーが立ち上がる。ゴマを手に取って、今更煮物にかけ始めた。いらなかっただろう、絶対。
12月4日
愛されてるのに、気付いてよ ジャガとピヨ
2人がけの定食屋のテーブルに向かい合って座る。水を飲んでいるとジャガーさんがこちらをじっと見ていることに気づいた。こういう時はろくでもないことを考えている。その考えは当たっていたようで、僕の右足を両足で挟んだジャガーさんが僕の靴を奪い取っていった。
「あっ、ちょっと」
「油断するからだ」
あの子が欲しい ジャガピヨ
街で見かけてからオレの心を掴んで離さないやつがいる。ギターのブランド、通ってる学校、髪から採ったDNA、すべて調べあげた。就活もしていないミュージシャン志望のやつ。今日確実にここを通るはずだ。
チェロケースに入れた笛が揺れてゴトリと鳴った。手が震える。行くぞ、オレの名前は、ジャガー、本名。
12月5日
嘘を暴く ジャガとピヨ
「ジャガーさんさあ、ここにあった僕のおやつ食べたよね」
「食べてない」
「絶対嘘じゃん口の周りにお菓子ついてるもん」
「食べてない」
「プレーリードッグって口の中におやつが入ってないかどうかキスして確かめるらしいよ」
「そ…れはちょっと一回やってみてくんないか」
「食べたね絶対食べた」
忘れてしまった ジャガピヨ
ざあ、と石鹸を洗い流して水を止める。ハンカチが無い。とりあえず手を微振動させているとピヨ彦がやってきた。
「なにしてんの」
「ハンカチ、」
そう言うとピヨ彦がポケットから出したハンカチで、オレの手を拭き始める。
「ピヨ彦、オレ、貸してくれって言おうとしただけで、拭いてくれなんて一言も、アハハ」
12月6日
お前の話だよ ジャガとピヨ
教室で好きな人のタイプの話になって、僕が「一緒にいて楽しい人」と答えるとジャガーさんが額に手を当てて険しい顔をした。
「オレか〜」
「そんなこと言ってない。…ジャガーさんは」
「オレは…オレは別にいいんだよ。ハマーは?右巻きと左巻きどっちが好みなんだ?」
「拙者カタツムリじゃないYO」
嘘吐き、どの子? ジャガピヨ
顔を赤くしたピヨ彦が足にへばりついている。こんなことになっているのは珍しい。そろそろ布団でも敷いてやるか。
「ピヨ彦、結構飲んでんなあ」
「飲んでない、全然」
「酔ってるだろう」
「酔ってない」
「嘘吐きは布団に連れて行って食っちゃうぞ」
「2たす2は5、ネコはエラ呼吸、明日は猛暑日、僕FBI」
12月7日
その言葉が、重い ジャガとピヨ
ただの友達は、こんなこと、しない ジャガとピヨ
ピヨ彦がトイレに立っている間、読者を失ったファッション雑誌が孤独に横たわっていた。拾い上げてパラパラとめくる。よくもまあこんなくだらないことを書き連ねたものだ。愛だの恋だの、みんな必死だな。水の音と共にピヨ彦が帰ってきた。
「手、つなぐと浮気なんだって」
「手?つないだだけで?」
「二人で映画見ても浮気だし、二人でご飯食べても浮気なんだと」
「はあ、それくらいのことでねえ」
「だよなあ」
そのくらい、友達でもするだろう。現にオレとピヨ彦はしているし。そりゃあ肉体関係を持ったらダメだろうけれど、やはり愛とか恋とかは曖昧だ。そんなふわふわしているものに振り回されるほど暇ではないのだ。ピヨ彦が頬杖をついたまま、うーんと唸った。
「いや、でも、」
「どうした」
「ジャガーさんが、他の人とやってたら嫌かも、それ」
なんだかよくわからないけれど、キスとかしてみようか、とオレは思った。
12月8日
なんだかなあ、 ジャガとピヨ
「ジャガーさんて、しりとりと歯医者以外に苦手なものある?」
「苦手?人がまだ催してるのに時間で勝手に流れる水洗トイレとか」
「小っちゃいしそれみんな普通に嫌だと思うよ」
「うーん、……オレあんま人が素手で握ったおにぎり食べらんないかも」
「食べてるじゃん」
「ピヨ彦の手はいいの、別に」
「とりあえず殴っておく?」 ジャガピヨ
新作「くまのぬいぐるみ」のくま部分がいらないというので貰った。暇なのでジャガーさんの背中めがけてくまに何度か頭突きをさせているとジャガーさんが「おいで」と言った。最近は親父を構ってばかりで心底つまらないと思っていたのだ。近づいた僕の手をとる。
「これが腕ひしぎ十字固め」
「痛い痛い痛い痛い!!」
12月9日
結局は、君に辿り着く。 ジャガとピヨ
バイトから帰ると顔の前に紙を突き出された。
「あみだくじ、作った」
「何の?」
「これでもうご飯と風呂とオレで悩むことはないんだ、よかったなピヨ彦」
「悩んだことないよ」
台所には何も置かれていない。
「え、ご飯は?」
「ない」
「お風呂は?」
「沸いてない」
「ジャガーさんは?」
「オレはいるよ」
大人になりたくない ジャガピヨ
ピヨ彦が部屋の隅でじめじめしている。実家からの荷物に同窓会のお知らせが入っていたらしいのだ。それも小学校の。
「行かなきゃいいだろう」
「行かないに決まってるでしょ」
「じゃあなんでそんな落ち込んでんだ」
「こういうたびにああ本当に年とっちゃったんだって思うんだよ!」
「いいだろ別にカッコいい彼氏がいるんだから」
「それはそうだけどさあ!!」
12月10日
甘やかしてよ ジャガとピヨ
ジャガーさんを撫でていると、ケミおさんがビデオカメラを持って来てくれた。
「忘れてた…ありがとう」
「あの…ビデオ、巻き戻しちゃったんだけど、その、やっぱりちょっと甘やかしすぎだと思うズェ…」
そそくさと隣の部屋に帰っていく。嫌な予感がする。再生ボタンを押す。ご飯を作る僕、漫画を読んでいる僕、布団に迎え入れる僕、なんだこれ、最悪じゃないか。
痴話喧嘩は他所でやれ ジャガピヨ
隠し撮りされていたビデオを見てみんなで笑っていると、ジャガーさんが部屋から出ていった。隣からバタンとドアの閉まる音がした。
「放っといていいんじゃねーかな、ピヨ彦はアイツのこと甘やかしすぎだズェ」
すぐにドスドスと足音が聞こえてきた。
「ピヨ彦お前追いかけて来いよ!!」