牙を抜く
夢のような熱い時間から起き上がると倦怠感で押し戻されそうになった。電気を点けると目が冴える。引き抜いた袋の口を縛って、タオルで腹を拭い去る。倦怠感がすごいのは脚を開いたままのこいつも同じようだった。腕で顔を隠して、薄く開いた口からふうと息が漏れている。
「ピヨ彦くん、服着ましょうねえ」
「ん……」
のそのそと起き上がると、ピヨ彦は脱ぎ散らかされた服の山脈から寝巻きを引っ張って頭を潜らせる。袖に手が通って、オレの目の前に左手が突き出された。それを見てオレはぎょっとした。
ピヨ彦の人差し指の付け根に、丸く、赤い線がついている。
「お前、ダメだぞ、こんなことしちゃあ」
左手を取って噛み跡をピヨ彦にも見せつけると、バツが悪そうに顔を逸らした。
「なんか今日静かだなと思ったら……痛いだろ、これ」
「でも、今日、上」
「……いるけどさあ、にしてもさあ、お前、ギタリストなら手は大事にしろよ」
「……うーん」
うーんじゃない、と呟きながら赤い線を指でなぞる。オレは痛いのが好きじゃないが、どうもピヨ彦ばかりが痛い目に遭っている。まあ痛いのが好きなのかもしれないけれど、流石にやりすぎだ。やめさせたい。手を掴んだまま、怒られた犬のようになっているピヨ彦の眉尻を眺めた。離してやると、ピヨ彦はすぐに手を引っ込めて右手で跡を隠した。
ふ、とオレの脳内に嗜虐心の裏返しのような思いが込み上げてくる。ピヨ彦の顔の下半分を左の手のひらで掴む。押し潰された唇から、うぐ、とピヨ彦の吐息が漏れた。
「噛んで」
「えっ、」
「噛め、おんなじとこ」
目を合わせてもう一度言う。ピヨ彦は目を見開いて、2、3回まばたきをした。どうにも言うことを聞きそうにないので、頬を掴んだまま右手で口をこじ開ける。無理やり開かれた口の奥から小さく、あ、と声が漏れた。歯列を指でなぞった後、左手、人差し指の付け根を口に捩じ込む。
「んぐ、う、ぅ」
舌が手を押し返す。右手で後頭部を押さえているので逃げられるわけはない。
「噛めよ、ホラ、おんなじくらい痛くしろ」
このままだと離してもらえないと悟ったピヨ彦が、恐る恐る顎に力を入れる。足りない。これじゃ全然跡なんかつかない。もっとだろ、そう言うとピヨ彦は目を伏せてふるふると歯をつきたてて、オレはそれを見てかわいいなと思った。ぎち、と手に歯が食い込んで、唾液がぽたぽたと溢れていく。頭を撫でてやると、ピヨ彦が限界だと言うように力を緩めた。
離れた唇と手の間に、つう、と透明な橋がかかる。左手にできた赤い線を見て、悪くないな、と思った。お揃いだった。
ピヨ彦は眉に力を入れたまま、顔を赤くしてこちらを見ている。唾液でぐしょぐしょの唇が光った。ピヨ彦はオレにひどいことをすると倍で返されることをわかっている。なんだか今日は眠れそうにないなと思った。