2月1日
こっちの台詞です ジャガとピヨ
食堂が弁当やおにぎりを売り始めたのだ。適当に2人分、買う。教室に戻るとジャガーさんが教卓からずり落ちてくる。
長机を這って、這って、僕のところにやってきて横に座った。
「別に教卓まで持ってってあげるよ。わざわざ隣に来なくても」
「え、…なんか、居心地がいいから」
ふーん、そうですか、ふーん。
御愁傷様、 ジャガピヨ
結局、この男を抱いてしまった。世界中飛び回って、結局これだ。一番近かった。ものすごい気持ちよかった。鼻まで顔を布団に潜らせたピヨ彦がオレを見ている。なんだよ、言いたいことあんなら言えよ。
「ジャガーさんさあ、もう、どこにも行けなくなっちゃったね」
はいはい、お前のジャガーさんだよ。
2月2日
言い訳はバッチリさ ジャガとピヨ
ちょっと離れた温泉に来ている。ジャガーさんが誘ってくれたのだ。嬉しい。
「日頃ピヨ彦にはお世話になってるからさ、お礼だよ。たまには全部忘れてダラダラしようぜ」
「またそんな思ってもないこと言って、どうせ僕を裸にしたいとかそんな理由でしょ」
「……」
「………」
「…………」
「なんか言ってよ」
不幸の始まり ジャガピヨ
悪路を荷馬車が進んでゆく。小石を踏んだ不規則なリズムがオレたちを揺らして、ピヨ彦はもう身体を斜めにしてただ耐えている。顔色がすごく悪い。吐きそうか、と聞くと小さい声で、大丈夫、と答えた。
「オレについてこない方が幸せ掴めたかもなあ」
ガタガタ鳴る車輪の音の間で、ピヨ彦がまた、大丈夫、と答えた。
2月3日
よろしく頼むよ、若輩者 ジャガとピヨ
新しい家には小窓がある。カーテンの長さを測りに来たのだ。ピヨ彦の手の中でメジャーがチキチキと音を立てて、オレがその端っこを持つ。
「エアコンついてる部屋で良かったね」
「2020年製って書いてある」
「もう電気通ってるから、ピッてしていいよ」
リモコンを押すと暖かい風がかざした手にあたった。やるじゃん、こいつ。3歳のくせに。
御冗談もほどほどに ジャガピヨ
「イエスノー枕ってあるだろう」
「…うん」
「あれの笛版を作ってみた」
ジャガーさんが握った縦笛の穴の隙間に、マジックでYESと書いてある。
「…リコーダーってさあ、吹き口の表の方が重いから、転がすと常に裏のNOが向いちゃうと思うんだけど」
そうかなあ、というジャガーさんが笛を床に転がすと思った通りに裏を向く。裏にもYESと書いてある。意味ないだろこれ。
2月4日
忘れてなかったら、 ジャガとピヨ
いやお前が言うな。 ジャガピヨ
モヤイ像の前で人を待っている。花壇のフェンスが尻に食い込んで冷たい。ぼうっと地面を眺めている。
今までも何人か会った。1人目、ご飯を食べた。面白くなかった。2人目、酒を飲んだ。その後誘われたけど断った。3人目、ビジネスの勧誘だった。逃げた。4人目、この人とも酒を飲んだ。ちょっと面白かったけど無理矢理連れ込まれた。向こうが風呂に入っている間に逃げた。全員ブロックした。ろくな奴がいない。まあ僕もろくな奴ではない。
とにかく今日でマッチングアプリは終わりにする。背が高くて目が細い人にライクをするのはこれで終わりだ。結局代わりを探しているだけじゃないか。くそったれ。僕を放ってどこかに行きやがって。アンタみたいな人ばかり探してしまう。忘れられないのだ。派手な髪のてっぺんからピカピカの革靴の先まで。そう、今ちょうど視界に入ったこんな感じの。
「KIYOさんですか?」
驚いた。声まで似ている。というか、あの、その。顔が上げられない。額を手で覆う。
「写真よりもかわいくないですか?お会いできて嬉しいです」
「あの……そちらは、写真と、違いますよね」
「加工しましたあ」
とりあえずぅ、言ってた中華料理屋でいいですかあ?と作った声でジャガーさんが言う。なんで、なんでこんなことになってるんだ。
「お前がマッチングアプリやってんのなんて筒抜けだ」
「誰から」
「全日本目をつぶるとこういう顔になる背の高い男の会の凍狂支部だよ」
「やめなよそんな会、ビジネスの勧誘してくる人いるよ」
立ち上がった僕に顔を近づけてくる。
「なに」
「今まで会った奴の中で、オレが一番かっこいいだろ?」
はいはい、そうですよ。
2月5日
負けてたまるか ジャガとピヨ
右の眉毛を抜いていると左の眉毛が濃い気がする。それを左右繰り返すエンドレス眉毛に陥ってしまった拙者は溜息をついて鏡を下ろした。二人が何かしている。手を繋いでいる。え!?
口に出てしまった拙者の方をピヨちゃんがびくりと振り向く。え?手?え?長い沈黙の後、ジャガー殿が口を開いた。
「あの、指相撲してんだ、今」
嘘だ、指相撲はそんなに絡めないもん…。
お好きな方をどうぞ ジャガピヨ
「きれいなジャガーさんをあげますって言われたらピヨ彦はどうする?」
「ジャイヤンのやつ?」
「そうそう」
「顔がきれいになるの?」
「顔は元々ハンサムだから、オレ」
「性格?」
「失礼なやつだな」
「じゃあどこがきれいになるの?」
「前科!」
僕、この人と一緒に暮らしてて大丈夫なのかな。
2月6日
「癒しが欲しい」「俺とかどう?」 ジャガとピヨ
お代はキスでいいよ ジャガピヨ
講師会議とかいうよくわからないものに出席している。今回が第二回。前回は手ぶらで出席していて窓のサッシの黒ずみを眺めていたらなんだか知らない間に来年度の予算が決まっていた。許せねえよ。
だが今回は勝算がある。パソコンを持ってきたのだ。ピヨ彦がセガールに聞いたところ資料はメールで送ってあるというのだ。今回は真面目に出席する。学校見学会で大きなブースを取るために。というかピヨ彦に来てもらえばよかった。こういう仕事はあいつの方が向いてるよ。ああ、ピヨ彦今何してんのかなあ。バイトかなあ。ピヨ彦。ピヨ彦。そしてオレはなんとなく頭に浮かんだ「メンズ メイド服」という単語をなぜか検索窓に打ち込んでしまったのだった。
「で、これが来たと」
「うん」
「で、なぜか僕が代引きで払ってしまったと」
「ありがとな」
「ズボン脱がさないで、ねえやめて」
「うん」
「なんでこんなの買っちゃったの」
「お前足細いなあ」
「無駄遣いしないって約束してるじゃん」
「はいバンザイして」
「ねえ聞いてんの」
「聞いてるよ。疲れてたの」
「は?」
「意外とフリフリ似合うなあ……。疲れてたんだよ、会議で」
「会議聞いてなかったんでしょ」
「癒してくれよ、オレ頑張ったんだよ。ちょっとぐらいいいじゃんか。膝枕してくれよお菓子あーんしてくれよよしよししてくれよ」
信じられない、という顔をしているピヨ彦の頭にカチューシャを乗せてやる。できあがり。流されやすいにもほどがあるが、まあそれでこそピヨ彦だ。結局膝枕もお菓子あーんもよしよしもしてくれるのだ。
「疲れとれた」
「よかったね」
「代引きの分、払うよ。ちょっと多めにね」
「なんで」
「メイドさんへのチップ」
いらないよ、とピヨ彦が言った。お代に何を欲しがっているかはすぐにわかった。
2月7日
大人になりたくない ジャガとピヨ
寒いとか布団に茶をこぼしたとか、なにかと理由をつけてオレの布団に入ってくるのだ。互いに好きだと明かしあって、口を重ねて、そりゃあ次は、そう思うが手が出せないでいる。ピヨ彦の腕がオレの胴に回る時、オレは気をつけの姿勢のまま天井を眺めている。身体に触れるなんて、そんな、責任が伴うこと、簡単にできるか。
「責任、取らせてあげようか?」
彼氏気取りかよ ジャガピヨ
「ピヨ彦、なんか今日車道側歩いてない?」
僕の左横を軽自動車が通っていく。なにカッコつけてんだか、とジャガーさんがプスプス笑っている。別にいいじゃないか、僕が車道側を歩いたって。ジャガーさんは大切な人だ。僕が守ってやれなくてどうする。左側を歩く理由が、最近僕の脇腹を突くのがブームのジャガーさんを避けるためだとしても。
2月8日
縁があったら、また明日 ジャガとピヨ
これは夢だとわかった。小指に鬱血するほど強く糸が巻かれている。何回も何回も手繰り寄せる。それは宇宙服の後ろに繋がっていた。振り向いた顔は何かを喋っているが聞こえない。宇宙は空気がない。がつ、と音がして、いつの間にか同じく宇宙服を着た僕とヘルメット同士がぶつかり合う、その振動は確かに僕の名前を呼んだ。
夢の話なんて、人に上手く話せない。だから誰にも話さない。
名前を教えて ジャガピヨ
うたた寝をしている胸に耳を押し付ける。柔い腹を辿って背中に腕を回して、ただ温度と音を聴いている。ピヨ彦のすべて、頬に当たる胸骨の波まで、夢から醒めそうな唸り声まで、オレの理想であり現実だった。ピヨ彦は普通の人間だけど特別だ。もう、恋とかそういうのじゃないんだ。ピヨ彦、名前をつけてくれ。
2月9日
水槽に浮かべる ジャガピヨ
扉の音と共に全裸のジャガーさんが現れた。風呂場なので当たり前だが。ジャガーさんが適当な掛け湯をして僕の入っている浴槽に入り込んでくる。
「ああ、なんか買ってたねえ」
パステルカラーの袋から水色の玉を浴槽に浮かべると、ぶくぶくと泡が立つ。ジャガーさんが袋の裏を見せてきて、どれがいい、と僕に聞いた。
お前ごときに、救えるものか。 ジャガとピヨ
バスボムから出てきた黒いトゲトゲの目つきが悪いペンギンが机に鎮座している。そんな落ち込まなくてもいいでしょうが。ジャガーさんの目の前からそいつを奪って、これ僕もらっていい、と聞いた。そりゃあ僕が欲しがったペチャッコでもないしジャガーさんが欲しがったゆでたまでもないけれど。ジャガーさんにちょっと似てるから。
2月10日
お静かに ジャガとピヨ
みんなにテストを受けてもらうって、第一印象から決めてました。そう言って紙束を配り始めた講師に誰も文句を言わない。問2の時点でよしてるとよしはるとよしのぶが出てきた。ペンを走らせているといつの間にか隣に立っていたジャガーさんが僕の答案を覗き込んでくる。ものすごい至近距離で囁いてくる。ここの答え、カリフォルニアロールだぞ。言っちゃダメでしょうよ。
美味しそうに見えた、なんて末期だ ジャガピヨ
唇が赤く滲んでいる。どうした、と聞くとピヨ彦が「乾燥してたみたいでピッてなっちゃった」と答えた。リップクリーム貸してやるよ。すごく嫌がるピヨ彦を羽交い締めにして無理やりリップクリームを滑らせる。ちょっとだけスッとするオレのリップクリームの表面に、うっすら朱色の跡が残った。オレはそれからしばらく目が離せなかった。